2月28日
薔薇
― 愛嬌 ―
女は度胸に愛嬌なんて言うけれど、実際度胸と愛嬌だけじゃ世の中渡っていけないのよね。
「主上!」
「に、逃げたんじゃないぞ。」
「・・・・・。」
「す、少し休憩をしにきたのだ。」
「・・・・・。」
「ちょっとだけ逃げたけど…。」
段々と大きな体が縮こまり、頭が項垂れてくる。
少々灸を据え過ぎたかと溜息を吐けば、一層小さくなる。
「主上。」
「・・・はい。」
「お茶を飲みますか。」
「飲む。」
「それでは、こちらへ。」
部屋を抜け、庭に出る。
桜の木がよく見えるこの場所を主が好んで足を運ぶことを彼女は知っていた。
「さぁ、お茶にしましょう。」
「なんで、もう用意がされているのだ。」
卓上には既に茶器が用意されている。は劉輝の質問にお茶を淹れながら答える。
「もうそろそろだと思いまして。」
「わかっていたのか。」
「これでも主上専用の女官をしておりますから。」
「う・・・。」
「絳攸様には言っていらっしゃったのですか?」
「言ってないのだ。」
「それでは。これを飲んだら、一緒に謝りに行きましょうね。」
ふんわりと微笑めば劉輝はこくりと首を縦に振り、の淹れたお茶に手をつけた。
さわさわと風の音がする。ぽかぽかと日が当たる。
「桜の木も元気そうで何よりですね。」
「元気か?」
「えぇ。」
「そうか。」
会話はそれだけであったが、と劉輝は微笑みあい遠くに見える桜の木を眺めた。
お茶も飲み終わり、さて仕事に戻ろうと茶器を片付け始めた。
「。」
「なんですか。」
「絳攸は怒らないだろうか。」
「怒るでしょうね。」
「・・・。」
「主上が逃げたんだから仕方ありません。」
「うっ・・・。」
「お詫びに饅頭を持っていきましょう。」
そう言って饅頭の入った箱を劉輝に見せるとパッと顔が明るくなる。
「絳攸も喜ぶのだ。よし、行くぞ。」
意気込んで執務室へ歩き出す劉輝の後ろをは付いていった。
執務室の前に来てゴクリとのどを鳴らす。
「すまない、絳攸。」
扉を開けてすぐさま謝る。
中に入れば鬼の形相でこちらを見ている絳攸と少し離れたところで苦笑している楸瑛の姿が見えた。
「逃げたからにはきっちり今日の分を仕上げてもらいます。」
「が、頑張るのだ。」
「ついでに昨日提出された案件についても書き直しです。」
「今日までか?」
「勿論です。」
先ほどよりもしょんぼりとした姿で書簡に目を通す劉輝。
自分でやったこととは言えちょっと可愛そうに思えてくるが、ここは心を鬼にして助けない。
「もうしばらくかかりそうね。」
「そうだね。」
「楸瑛は?なにかすることないの?」
「んーないかな。」
相変わらずこの男は飄々としている。
それは絳攸に?と手に持っている箱を指し、奪う。
「皆によ。」
「そうか、ありがとう。」
にこりと微笑む。完璧な微笑。
これが後宮の女官を虜にし、人手不足を発生させる笑顔だというからあまり嬉しいものではない。
「最近、新人の子がね。ボーっとしているのよ。」
「…。」
「恋煩いみたい。」
「…それは、大変だね。」
「お心当たりがございまして?」
「・・・。」
「無言は肯定だと取ります。それで、いったい後宮を何だと思ってるんですか。ただでさえ人手不足で手が回らないんですよ。劉輝が貴妃を娶っていないからよいものを…って聞いていますか。」
睨みあげると苦笑してこちらを見ている楸瑛がいた。
その顔色はまったく反省しておらず、今の状況を楽しんでいるようにも見える。
こんな時は年の功もあるのかどれだけ言っても無駄なのがわかっているので、やるべきことはひとつに決まっていた。
それは、ことごとく無視。
子供じみた戦法だと思うが、珠翠殿からも胡蝶姉さんからも一押しの戦法なのだ。
「殿?」
「・・・・・。」
「・・・花のような顔を浮かべてはくれないのかな?」
「・・・・・。」
「・・・・・。」
「・・・・・。」
「悪かったよ。今後は気をつける。」
「宜しい。半年は女官に手を出さないでくださいね。」
「…わかったよ。」
これで半年は人手不足には悩まされないわねーなんて思っていたら、劉輝と絳攸のほうも一段落ついたようだった。
絳攸の側に行き、お茶を差し出す。
「お茶です。どうぞ。」
「あ、あぁ。ありがとう。」
「いえ。お饅頭も持ってきたんです。食べますか?」
「勿論だ。お前の饅頭は美味いからな。」
「実は絳攸様がお好きな桃饅がありますの。」
「俺のためにか。」
そう言って絳攸は自分の言った言葉の意味に慌てた。
「いや、そういう意味じゃなくて。」
「あってますよ。」
「は?」
「最近、絳攸様はお疲れのように見えました。」
「・・・。」
「ですから、私が出来ることはこれくらいですけど。」
にっこりと微笑み、お茶請けに桃饅を差し出す。
桃饅は重箱の中に入っている饅頭の中でも1つしかないのだ。
たった一人の為に作った特別なものである。
「悪いな。ありがとう。」
「いえ。」
物欲しそうに見てくる劉輝にも饅頭とお茶を差し出し、楸瑛にも同じように差し出す。
女は度胸に愛嬌なんて言われるけれど、彩雲国の政を動かしているのは彼女、なのかもしれない。
あとがき
久々に長いような気がする。