8月14日

トルコギキョウ
― 優美 ―




一度だけ、こっそり見たことがある。
初めて来た場所で、ここがどこだかわからず迷子になっていたら、彼女を見たのだ。
午前中、黎深さまに連れられて来た水上舞台。
そこに一人女の子が、舞っていた。
ヒラヒラリ、くるりくるり、ゆったりと可憐に、優美に舞っていた。
言葉が出なかった。
声はかけられず、ただ見ているだけだった。
何刻かした後、黎深さまが迎えに来てくれた。慌てて追いかけようとしたその時に、もう一度水上舞台を見てみたが女の子はいなかった。

こうして時は流れ、毎年紅家の正月舞台を見に行くが、彼女はいなかった。
水上舞台に一度も現れなかったのだ。
舞妓でないのなら、紅家や縁の者かと思い客席を見渡すも、見つからずいつしか幻の人となっていた。

「だからなんだ!」
「その、それでだな。」
「はっきりしろ!」
「まぁ、まぁ、つまり今回の正月に舞子を呼ぶってことだよ。」
「・・・なんでだ。」
「なんでも有名な水舞の姫がいるらしい。」
「水舞・・・。」
「そ、そうなのだ!なんでも紫州へ来るらしい。それに、話もつけているのだ。」

水舞。
思い出す。誰も見ていない水上舞台で舞っていた彼女を。

「こ、絳攸?」
「…構いませんよ。もう話は通してあるのでしたら、断れませんし。」
「そ、そうか。」
「確か紅家は毎年水舞を見に行くらしいね。」
「あぁ、ここ近年は黎深さまが寄り付かなくなったから行っていないがな。」
「そうなのか!絳攸、水舞はどうだった?」
「綺麗でしたよ。すごく…」
「そうかー見てみたいのだ。楽しみだ。」
「そんなことより主上。こちらを終わらせてもらっても?」

ドン。と音を立てて置かれたのは書簡の山。
引き攣りながらも楸瑛に励まされ処理を始める劉輝。
少し抜けると楸瑛に言うと主上の執務室を出て、当てもなく彷徨う。



「あ、あの。」
「…なんだ?」

女官だろうか?着飾った女がこちらを見ていた。

「主上の執務室はどちらでしょうか?」

澄んだ声。
小さく首を傾げれば、簪がシャラリと音を立てる。

「…お前は。」
「わたくしは、水舞の舞子でございます。」

綺麗に礼をとる姿はあの時見た彼女と重なる。

「お前が。」
「はい。」
「・・・あの時の」
「あの時?」
「十数年前だ。紅家の水上舞台でお前は舞っていただろう。」
「!」

女は急に駆け出した。

「おい!ちょっと待て!」
「追いかけてこないで下さい!」
「だったら逃げるな!」

俺は文官で走ったり、追いかけたり、そんな体力仕事は向いてないと思いつつも、足が止まらない。
あと、あと少し。あと少しすれば追いつける。

「あっ、」
「捕まえたぞ。」
「放して!」
「何で逃げる!」
「それは!」
「それは?」
「・・・・・それは。」
「・・・・・。」

続く沈黙。

「全く何をやっているんだあの二人は。」
「そう言う、黎深さまも人が悪いですわ。」
「ゆ、百合!何で此処にいる。」
「うふふ、黎深さまがこそこそと何かしていましたから。」
「だからって。」
「あの子ですね。絳攸の姫は。」
「フン。」
「あの日からずっと探していましたし、ねぇ?」
「私に同意を求めるな。」
「わざわざお探しになられたのでしょう?一人、団を抜け放浪しながらの幻の舞子を。」
「・・・。」
「百合はわかっておりますよ。」
「あの二人が決めることだ。」
「えぇ。」



「見ていた。あの日、お前が舞うところを。」
「知っていました。」
「また、舞ってくれないか?優美な舞を。」
「・・・あなたが望むのでしたら。」



後書き
舞子さんに一目惚れの絳攸さんと策士な黎深、それより一枚上手の百合姫を書きたかっただけ。