雨に溶けた罪

雨が降る。閉ざされていた記憶が甦る。


※※※

雨が続いている、鬱陶しい毎日だ。

「楸瑛。」
「なんだい。」
「御当主様方がお呼びよ。」
「そう。」
「行かないの?」
「行くよ。」
「そう。」
「・・・君はどこに行くんだい。」
「出かけるのよ。」
「許されたんだね。」
「私はいらない子だわ。」

来夏は悲しそうに笑った。

彼女がどこの隠し子だったのか思い出せない。
何故、藍家に奉公に来ることになったのかも、忘れてしまった。

呼ばれていた兄の元へ行けば、彼らは悔しそうな表情をしていた。
この兄たちが心情を表すなんて珍しいことだった。

「楸瑛、来夏を抱け。」
「・・・は?」
「貴族の娘が生娘などありえないだろう。」
「あの子に教える奴を見繕ってる暇はないんだ。」
「やれるよな。」

いろいろ聞きたいことはあったが、兄たちの有無を言わせない態度に言葉を飲み込み、部屋に戻った。
ぐるぐると考えが回る。


「楸瑛。」
もう夜になっていた。湯浴みを終えた来夏が入り口に立ってこちらを伺っている。

「帰ってきたんだね。」
「うん。」
「君を抱くように言われたよ。」
「うん。」
「なんでか聞いてもいいかな。」
「うん。」

寝台に二人、座り込み。ポツリポツリと来夏が話す事実について耳を傾けた。
雨足は激しくなっていたが、次第に来夏の声だけしか聞こえなくなった。
どこかの領主の息子に見初められて、嫁がないといけなくなった。私はいらない子だったのにね。そんの家との繋がりが前々から欲しかったみたい。丁度良かったんでしょう。今日もそれで呼ばれたのよ。久しぶりに家に帰ったらね。お父さんやお母さん、家人の人はみんな私を見て褒めるの。「美しい子ですもの。」「それに賢い」・・・って。今までとは大違い。
お母さんなんて泣いて言うのよ。「さすが私の娘だわ。」って、冗談じゃないわよ。散々「卑しい娘」と罵っていたのにね。

「そう。」
「えぇ、・・・楸瑛、ごめんなさいね。」
「いいよ。」

俯いていた来夏が顔を上げ、自然に口を近づけ、そのまま倒れこむ。
こんな理由で来夏を抱くことになるとは思っていなかった。
来夏は甘美で妖艶な姿。彼女がほかの男のものになるなんて考えていなかった。
抱き足りない。でも、一度だけしか抱かなかった。
来夏は事務的に衣服を整えて部屋を出て行く。私も来夏を見ることはなかった。


それから、数日後。一人、部屋に篭っていると来夏の可愛がっている猫がやってきた。
チリンと鈴を鳴らしこちらへ来る。赤い足跡をつけながら・・・。

「血。」

嫌な予感がした。
慌てて回廊を走り抜け、奥の人目のつかぬ部屋へと駆け込んだ。

来夏!」

そこは来夏に与えられた部屋で、誰一人として訪れるものなどいない。
部屋の真ん中には来夏が蹲っており、床には血のあとが…
楸瑛はすぐさま駆け寄ると来夏を抱き起こした。

来夏、来夏!」

返事はない。来夏の手には小刀があり、自分の腹部を深く刺していた。

来夏、来夏、なんで・・・。」
「・・・しゅ、えい。」
来夏、医者を呼ぶから」
「い、いいの。私は助からないわ。」
「誰が。」
「私が望んだことよ。・・・楸瑛、アレ。」

来夏の視線は卓上に。そして、楸瑛を見て、悲しそうに微笑みかける。

「楸瑛、・・・私もう痛いのは嫌よ。楽にして。」
来夏・・・。」
「お願い。最後の頼みよ。」
「・・・・・わかった。」
「ありがとう。楸瑛・・・・・・・・・・・・・・・。」

楸瑛は己の刀に手をかけると、来夏に向かい振り下ろす。
グサリ。血が飛ぶ。
兄たちが呼んだのだろう影がすぐさまやって来た。
来夏の亡骸はどこか知らないところへ葬られ、来夏は最初からいなかったことになっていた。
兄たちの考慮があってか、手紙は封を切られないまま私の元へ届いた。

『楸瑛へ
 ごめんなさい。貴方の家で自殺を図った私を許してください。
 この手紙を貴方が読んでるということはもう私はこの世にいないのでしょう。
 貴方に抱かれた夜から私は自ら死を選ぶことを決めました。
 こんな風に書くと貴方が私を自殺に追い詰めたように思うと思いますが、それは違います。
 私は貴方に救われました。
 嫁ぐ前に貴方に1度でいいので触れてほしかった。
 だから、御当主様方にお願いして貴方を初夜の相手にしたのです。
 貴方との夜はとても幸福な時間でした。ありがとう。そして、ごめんなさい。
 貴方以外に抱かれたくなかった。貴方に抱かれたまま死にたかったの。
 だから、貴方が気に病むことはないわ。私の我が儘よ。
 貴方に辛い思いをさせるつもりじゃなかったのよ。
 さようなら、楸瑛。私は、最後まで貴方を愛しています。』

「ニャー」

来夏の猫が楸瑛に擦り寄ってくる。猫を持ち上げ頭を撫でる。
チリン、チリリン。チリン・・・チャリン。
猫の鈴が落ちる。

「楸瑛、なんで泣いてるんだ。」
「泣いてなんかいません。」

頬を伝うのは確かに涙だったが、楸瑛は何故泣いているのかわからなかった。

「猫もいるね、飼っていたのかい?」
「いえ、ここにいたので。」

猫を持っていたことも忘れていた。いつこの猫は入ってきたのだろう。

「楸瑛、貴陽に行ってくるといい。」
「はい。」

楸瑛は貴陽へ遊学へ出かけた。来夏と言う女の存在を忘れて。
藍州を出たときには雨が降り続いていたのに、貴陽は青空がどこまでも広がっていた。

※※※


「なんで忘れてたんだ。」

降り続く雨を見て思う。なぜ今まで思い出さなかったのか。
初めて殺した人のことを。己の罪を。

来夏・・・。」

目を閉じれば思い出す。あの悲しそうな微笑が。

「楸瑛、貴方に催眠術をかけるわ。」

彼女は確か最後にそう言った。
催眠術・・・心当たりがあるのはあの猫の鈴だった。
あまりの間抜けさに苦笑する。兄たちは知っていたのだろう、来夏が自ら死んでしまうことも、私は催眠術をかけられ忘れてしまうことも。

雨の音はどんどん強くなっていく。
眠い。少し、寝台に横に・・・なろう。


雨の音が響く、チリンとどこかで鈴の音がした。



彼女を殺した僕の罪

 記憶を殺した彼女の罪


■企画「356!」さんへ。お題に沿えているか心配です。

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